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落下傘

 投稿者:坂口 博  投稿日:2010年12月28日(火)09時46分16秒
  通報 編集済
   林京子の「祭りの場」では、落下傘投下説が、後の版では書き換えになっていることを、先日の研究会で指摘しましたが、その後も考えています(このことは研究会の場で気付いたので)。
 小説作品において、こうした書き換え(改稿)の持つ意味と同時に、記録と記憶の問題のケース・スタディとしても。
 気づいた2箇所を列記します(テクストは講談社の旧文庫版と文芸文庫版のみ確認)。
「一一時二分、松山町四九〇米上空で白い落下傘に吊した原爆は炸裂した。」→「一一時二分、松山町四九〇米上空で原爆は炸裂した。」

「警報のない空から落下傘を開いて降ってくる原爆を、アメリカ捕虜への食糧投下だろう、と口を開いて見あげていた者もいた。」→「警報のない空から落下傘を開いて降ってくる浮遊物を、連合軍捕虜への食糧投下だろう、と口を開いて見あげていた者もいた。」

 原爆の落下傘投下説が、目視の錯誤だけでなく、新聞報道(ラジオほかの報道は未検証)による補強によって、広く伝播していることは、「敍説」の「原爆の表象」特集の拙文で触れました。
 作者が生存している場合は、林京子のような「改稿」も可能ですが、既に亡くなっているときは、そのままのテクストを流布させるほかありません。ここだけ「注」を付すわけにもいかないでしょう。
 また、記憶による証言を、いちいち「事実」に反するからといって、訂正を加えていたら、証言そのものが成立しません。たまたま「落下傘」の場合は、ほぼ、その出来事の「事実」が明らかになっていますが、ほかの出来事に関しては、不可能な事柄が多いでしょう。
 また、先の2番目の箇所に見られるように、事後の情報によって記憶が訂正されていくことも多いでしょうし、いくら事後の「正しい」情報を加えても、当人の記憶が訂正されない事例もあるでしょう。
 もちろん、これは原爆に限らず、現在進行形の、さまざまな出来事に共通する問題でもあります。記憶/記録がいかに形成され、いかに危ういか、今後とも考えていきたいものです。

 長崎市のイベントに関して、報告ありがとうございます。外からは記念式典が大きく見えますが、長崎市内では、また違った力学が働いているのかも知れません。
 
 
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