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「毎日新聞(西部本社版)」の1954年8月9日から19日まで、原爆記念「平和希求詩展」という紙上「詩展」が開催されていた。当時、組織されていた九州詩人懇話会の企画のようだ。「長崎原爆記念平和週間に際し、九州詩人懇話会から、九州各地同人誌および一般へのよびかけによって、短時日の間に集まった平和を守る声」という。その経緯の詳細は不明だが、概要を紹介する。
①9日 メッセージ(九州詩人懇話会)/大重春二(まえおき)/風木雲太郎(九州文学)「夏の葬ひ―原爆慰霊祭に―」※長崎詩編21
②10日 谷川雁(母音)「このアメリカ人」※詩集未収録/「現代詩」10月号再出(異同あり)
③11日 有田秀孝(熊本・人吉高校)「ヤメテ下サイ」
④12日 首藤三郎(心象)「声」
⑤13日 大重春二(詩と真実)「鳶色の不幸な音色を……」
⑥14日 松永伍一(交叉点)「燃える砂」
⑦17日 恒井四三(浮標)「テレビジョン」
⑧18日 服部七郎(龍舌蘭)「空を渡る魚群」
⑨19日 蟇左衛門「原爆の子(新藤兼人氏に)」※井上岩夫の当時の筆名
「長崎原爆記念平和週間」って、どこが決め、いつからいつまで実施されたのでしょうか。
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