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皆さんへ

 投稿者:天理教豊文教会  投稿日:2009年 5月15日(金)16時59分18秒
編集済
   皆さんは天理教の全ての人々が恐喝などしていると思っていませんか?
私の家も元々は天理教の教会でしたが、信者さんにお供えを要求したりはしてませんでした。
そんな恐喝するような人はホンの一部の教会長にすぎません。誤解はしないで下さい。
私の家は今の天理教教会本部のやり方がおかしと思い色んな事を勉強し、今の天理教は、中山みきさんの教えたものではなく、みきさんの子供である秀司さんと山沢さんが教祖様に背いて金儲けの天理教を創ってしまったのが始まりです。
今でも中山家ではなく山沢家が天理教の主をにぎっています。

http://www.lcv.ne.jp/~toyohumi/top2.html

 

重徳さんに質問

 投稿者:元信者  投稿日:2009年 5月11日(月)20時29分29秒
  「天理教の教会関係者は精神疾患者」を蔑視しているとのことですが、もし、具体的な事例をご存知であれば教えてください。確かに知的障害者や精神障害者は「お供え」をすることが、極めて困難な方々です。天理教の教会関係者が知的障害者や精神疾患者を蔑視する理由はそのためでしょうか?本来、宗教とは、そうした社会的弱者に対して救いの手を差し向けるべきものです。天理教が「宗教」であるのか本当に疑いたくなります。  

精神疾患者に対する教会の態度

 投稿者:重徳  投稿日:2009年 5月11日(月)17時48分28秒
  天理教の教会関係者は精神疾患者を蔑視している。
これは定説です。
身体障害者には手を差し伸べるが知的障害者や精神障害者には容赦ない言葉を浴びせかけます。
宗教者としてあるまじき行為です。
 

日本国憲法第20条

 投稿者:元信者  投稿日:2009年 5月 3日(日)10時50分36秒
  本日、5月3日は皆様もご存じの通り、憲法記念日です。皆様もご存じのことと存じますが、日本国憲法第20条の条文は次の通りです。

日本国憲法第二十条【信教の自由、国の宗教活動の禁止】

 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

以上の条文でも明らかなように、「信教の自由」は保障されています。天理教の信仰も個人の自由ですが、あくまでも「私個人の意見」として述べさせていただきます。極論かも知れませんが、現在の天理教は「宗教」でしょうか? 今、私は甚だ疑問に感じています。私の考え方に異論をお持ちの方は、どうぞ、ご遠慮なくご意見をお聞かせください。
 

良識ある天理教教会本部幹部の皆様へ

 投稿者:元信者  投稿日:2009年 5月 3日(日)09時44分10秒
  良識ある天理教教会本部幹部の皆様の中で、この掲示板をお読みになっておられる方がおられたら、謹んでお願い申し上げます。今の天理教は「教祖のひながた」「立教の元一日」の姿とは、あまりにも、かけはなれてしまったように思います。いつまでも「長いもの」に巻かれていては天理教の抜本的な改革はできません。修復の可能な内に、早急に天理教を本来の姿に戻していただきますよう、重ねてお願い申し上げます。  

教団の仕組み

 投稿者:脱会者  投稿日:2009年 5月 2日(土)11時11分37秒
  例えば自分の教会の普請(建築)がしたいとします。
自分の教会だけで解決する問題ではないんです。
上級教会、大教会、本部のお許しがなければ着工すらできません。
お許しをもらうにはどうするか?
多額の「お供え」をするしかありません。
普請をする順番としてまず「上級」なんです。
上級、大教会の普請が終わってからということになります。
ですから自教会の普請を着工するまでにすでに多額のお供えが必要となってくるのです。
普段の上級へのお供え、上級の普請に対する協力(金銭面)がなければ自教会のことはでき
ないようになっています。
ですから教会は普請となると積極的に目の色を変えて信者にお供えを要求するのです。
「普請が徳を積むチャンスだ」なんてなるんです。
なんか事がすりかわっていますね。
これがネズミ講的にお供えが集まる仕組みなんです。
この仕組みによって巨大な宗教施設は建設されていますし、天理教被害も生まれているのです。
 

立教の元一日

 投稿者:元信者  投稿日:2009年 4月29日(水)21時34分18秒
  以前から、何回も投稿させていただきましたが、「ひとだすけ」の為に、巨大な宗教施設は不必要だと考えます。天理教教会本部の巨大な神殿(礼拝場)をはじめ、天理市内に散在する母屋と称される数々の施設、天理よろづ相談所病院等の建築や増改築は、国内最大手のゼネコンの一つである某工務店や、その下請会社、孫請け会社が受注しているような印象を受けます。国や地方自治体とは異なり、天理教は宗教法人であるので、建築や増改築に際して、入札等を実施する義務はありませんが、某工務店と同等のランクにある他社も入れて入札を実施する必要はあると思います。実際、入札を実施されているのか、その辺は、私には定かではありませんが・・・しかし、一社と随意契約をするよりも、複数の業者を入札に参加させることにより、建築や修繕をはじめとする増改築に要するコストは、相当安くなることは歴然としています。また、母屋や病院等においても、法律で義務づけられた消防設備の保守点検、電気設備の保守点検、エレベーターの保守点検等の業務を専門業者に委託し、実施しなければなりませんが、そうした業務の委託契約についても、入札を実施することにより、大幅なコスト削減が期待できます。天理教教会本部が「ひとだすけ」の為に、どうしても、そうした施設が必要であるとお考えであるのであれば、建築や維持管理のコスト削減の為の方策を一度ご検討されてはいかがでしょうか?コスト削減でういてきたお金を「ひとだすけ」の為に使うことも可能になります。最後に、真柱がお住まいになられている住居を、誠に失礼ながら、インターネットのgoogle earthにて、上空から拝見させていただきましたが、とても質素なお住まいであると私には思えません。あの広大なお住まいに、一体、何人の方々がお暮らしになっているのか、私には知るすべもありませんが、教祖は「貧に落ちきらなければ、本当に難儀している者の気持ちは分からない」とおっしゃったそうです。今こそ、立教の元一日に立ち返り、天理教の本来の姿に戻るべき時期が到来しているのではないかと考えます。  

はい

 投稿者:kame  投稿日:2009年 4月28日(火)23時53分39秒
  感謝の気持ち様

ご紹介のサイト、時間がなくてすぐには読めませんが、はじめのところだけ読ませていただきました。私から言わせれば、教会長が間違っているのでしょう。そして、それを自覚していないから、誰もついて来ない。御両親の意に逆らうのは苦しいところですが、ここはご両親に教会の名称をお返しするように説得するのがよいと考えます。私なら、そうすると思います。もしも家族がみな理解してくれるなら、教会を継ぐのも選択肢ですが、この方の場合はそうでもなさそうです。御守護くださるのは神様であり、会長様ではありません。しかしこういう会長様を迎えたのも何かの縁、人それぞれには因縁があるように思います。なんとかこの方がご自身の手で、よりよい道を探求されるのがよろしいかと思います。そういう精神状態ではなさそうですが…。

給料全額をお供えするとかパートで生活して貧乏だったというのは、私はあまり本質的な問題だとは思いません。それによって家族が守られ、喜べると思われるのであれば、それも一つの道であり、子どもとしては辛くても、子供には分からないより大きな何かを得ているかもしれないからです。

いくら裕福でも不幸な人はいくらでもいます。一方で、いくら貧しくても笑い声の絶えない家庭もあります。神様という柱を中心に、喜んで、毎日を過ごすことができたら、どれほど素晴らしいことでしょう。この方のご両親がそうやって、この方の子供時代を育ててこられたのなら、私は、その良しあしは何とも言えないところがあります。

この方と同じように、父親が給料のすべてをお供えし、母親がパートし、姉も働き、家族全員で住み込みし、今は、家族で田舎から東京に出て教会を離れて暮らしている人を一人知っています。私の幼馴染みです。子供時代に毎日一緒に参拝しました。彼は一時、信仰をやめていたようですが、今はあらためて信仰を始めているようです。出て行く人もいれば、戻ってくる人もいる。悩む人もいる。いろいろなのでしょう。ただ、教会長を神様のようにあがめることはありませんし、教会は絶対ではありません。大事なのは神様だと思います。ですから、私は以前から、教会など、県に20か所ほどあればそれでいいのだと書き込んでいます。

>kameさんの神様に対する感謝の気持ち、すばらしいと思いました。

私は天理教では落ちこぼれですよ。ただ、神様のことを忘れることはないですね。一生、忘れることはないでしょう。たとえ、教会を離れることはあったとしても。

脱会者様

素晴らしいお父様ですね。私は天理教の人間ですが、天理教の看板などどうでもいいと思っているほうです(だから教会に年に10回ほどしか行かなかったりするのでしょうが)。この道は人助けの道。仰る通りです。布教所の看板を下ろすのもご自由だと思います。大切なのは教えであり、それに沿った心遣いなのだろうと思います。

ただ、私から見れば、脱会者様は、天理教の看板を下ろしただけであり、神様の懐にいらっしゃることには何の違いもないと思いますよ。そして、それをおそらくは自覚して行動していらっしゃるのだろうと思います。

どうでも信心するならば講を結ぼやないかいな、と仰います。教会で考えれば、どうでも信心するなら教会のような組織を作るのもいいが、あくまで「寄り合って」なされるべきものであって、何らかの理由で、その和が崩れたときは、きっともう神様の望む「講」ではなくなっていることでしょう。私は名称は意地でも掲げるべきものとは思っていません。いつでもおろしていいものと思っています。

>私のところにいまだに「お供え」みたいなものをもってくる人は多いですよ。効果があがって本当に感謝しているから要求もしないのに持ってくるんでしょう。

私も天理教歴は長いですし、いろんな教会にも行ったことがありますが、普通の信者さんたちはみなそうなのだと思いますよ。何かの行事のために月に1000〜3000円ほどお願いしたいと婦人会や青年会で頼まれたりするような類のことは確かにありますが、それを越すような「要求」をする教会を私は一度も見たことがありません。「心定め」は自らするもの。「心定め」のままにお供えする人は多いと思いますが。

私個人でいえば「要求」はただの一度も受けたことがありません。一応、一流企業並みの給料もありますし、信仰も長いですが、いくらの収入だからいくら、という話は、家族からも教会からも一度も聞いたことがありません。

ただ、母は金額は大事ではないが、感謝して続ける心が大事だから一日に10円でも100円でも貯金させてもらって、それを折を見て教会に行ったときにお供えしなさい、とは言っています。そして、一方で母は私の仕送りの3分の1近くは家族全員のお供えとして、教会にお供えしています。これは以前に書いたとおりです。それはそれでいいと思っています。

>このおさしづも解釈を誤ると危険な一面があります。現代の世相に会わせ臨機応変である必要があるでしょう。

私は、それを「常識」という言葉で、一つの枠組みを設けています。すでに書いたとおりです。常識の範囲内で、解釈なされるべきであると思っています。

皆様のご投稿を読んで分かったことは、結局は、皆さんが、現在の天理教の教会制度に不満や反感を持ち、被害体験を持っていらっしゃるということです。神様を否定される方もおられましたが、そういう方は珍しく、むしろ、教えそのものを徹底して批判される方はいらっしゃらない印象でした。幸いなことだと思いますし、また、私はそれは一面では間違っていないとも思います。

教会制度は変わらなければならない、という思いは、私も同様に持っています。ただ、幸い私はみなさんほどに教会に対して辛い思いが多かったりはしなかったようです。むしろ懐かしくさえあります(自分の教会は飛行機で行かなければならないので、普段は近所の別の系統の教会に行きます)。教祖様の教えに帰らなければならない。そのために、教会というものはどうであるべきか。それが真剣になされるべき時期に来ていると思います。大切なのは名称の理や系統などではなく、広く、にほいをかけることのできる信頼ある体制を整えることなのだろうと思います。「講」はどうであってもという信心のための一つの手段ではないでしょうか。その形は、いくらでも変わりうるものだと思います。
 

kame殿

 投稿者:脱会者  投稿日:2009年 4月28日(火)11時22分17秒
  祖母の代から布教所をしていまして、父は教会の役員もしておりました。
父は会社も経営しておりまして、私もそこそこ裕福に育ちました。
大学もでておりますが、教人資格も持っています。(天理の学校はでていません。)
教理というものは世の中で生かしてこそ意味があります。
そのことをモットーに信者さんには、経済的にも自立をさせる方針でやっておりました。
布教所、会社ともども業績も順調でお供えもいい金額をしていたのですが、いつしか上級の
教会も私のところに依存する様になってしまいましてね、要求される金額もエスカレートし
てきたわけです。
しまいにはよその教会の信者まで物乞いのように会社に来る様になりましてね。
このままでは業務に支障をきたすわけで、布教所も止めて教会へも行かなくしたんです。
布教所長であり、教会役員である父も同調しましたよ。
父も今の教会制度のありかたには大いに反発していましたしね。
「用木はたすける必要はない」との持論の持ち主でしたから。
なぜか「ひとをたすければわがみたすかる。」であり「たすかりたければひとをたすければ
ひとをたすければいいのである」用木であってたすかっていないのはひとをたすけていない
のであり怠慢だからだ。という持論です。
とにかく「天理教」の看板をおろしました。
教会とからんでいると金の話になるし、そこでで天理教を名乗らず、ひとだすけの集まり(講)にしたんです。
そしたら家業も順調ですし、集まってくる方々もいい方向にむかっていくし、総じて事情
というものはなくなりました。
教会の干渉もなくなりましたしね。
教祖は優しいかたですからね。我々の手法もお許しになられたんじゃないのですかね。
>それにしても良くわからないのは「教会」とかかわったら貧乏になる、というものです。
このことは間違いない。
>私の周りの信仰者たちは、貧乏の中を、1日10円とかをお供えして、よろこんでお道を
通っていらっしゃる方が、何人もいらっしゃいます。
とのことでありますが実際貧乏なんでしょう。貧乏と書いてありますがね。
このサイトにかかれていることも「多額のお供え」による金銭被害じゃないんでしょうか?
喜んでいようがいるまいが私のまわりでは教会とかかわって貧乏になった方々がたくさん
います。
事情の原因を解明しないで「お供え」を取るばかりですから。
もともと経済的に弱いのに悪化するのは当たり前じゃないですか。
心の持ち方だけを変えたばかりで原因を修正していないんだから当たり前です。
私のところにいまだに「お供え」みたいなものをもってくる人は多いですよ。
効果があがって本当に感謝しているから要求もしないのに持ってくるんでしょう。
>律よりも心定めが大切と仰った教えに私は一点の疑いも持っておりません。
このおさしづも解釈を誤ると危険な一面があります。
現代の世相に会わせ臨機応変である必要があるでしょう。
 

kameさん

 投稿者:感謝の気持ち  投稿日:2009年 4月28日(火)00時34分28秒
編集済
  >それにしても良くわからないのは「教会」とかかわったら貧乏になる、というものです。私の周りの信仰者たちは、貧乏の中を、1日10円とかをお供えして、よろこんでお道を通っていらっしゃる方が、何人もいらっしゃいます。すべては心次第。神様がお受取りになる心そのものが大事なのだろうと思います。


http://nara.cool.ne.jp/higaisha/zen.htm


以前、上のホームページが、天理教被害者さんのホームページに、貼ってあったのですが、

「両親が昔から天理教を信仰していて、父の給料全額を教会へお供えしていて、小さい頃から母のパート代だけで一家5人が生活していたので 本当に貧しくてって書いてありました。」
上のホームページを読んで、天理教をして、貧しくなって、心も精神的に苦痛になり、苦しんでいる人もいるんだと思いました。(天理教のすべての人が、こうではない・・と言われるのかもしれませんが・・。)実際に、全ての人が、天理教をやることで、貧しくなるとは、言えませんが、天理教をやることで、貧しくなる人も、いるのではないでしょうか?

kameさんの神様に対する感謝の気持ち、すばらしいと思いました。いつまでも、その感謝の気持ちを持ち続けて下さい。意識進化をする道、天理教だけがのぼる道ではないけど、天理教から、のぼるのも、一つの道でしょう。
 

亡き会長様

 投稿者:kame  投稿日:2009年 4月27日(月)22時51分21秒
  今は亡き会長様の思い出。私が小学校3年のころ。兄は小学校5年生くらいでしょうか。お年玉に会長様は私に500円を、兄に1000円を下さったのでした。私は、こっそりと廊下で兄と金額を見せ合い、その金額の差にショックを受け、大声で泣き出してしまったのでした。そのときの会長様の困ったお顔。今も忘れられません。「ごめんな。それしかないから…」。大声で泣く私のそばで、会長様も泣きそうに、いや、泣いていらしたのかもしれません。「ごめんな、ごめんな」と。(もちろん、私は祖母や母にこってりとしかられました)私にお詫びの言葉をおっしゃったのです。大きな罪を犯したような気持ち。私は今もあの会長様のお顔を忘れられないのです。

そして、前会長が亡くなられ、次の新しい会長様が我が家に講社祭にいらっしゃるときの質素な姿。夕食をおもてなしするときに、両手を合わせて、心から感謝するようにありがとうございますと仰りながら、これまた貧乏でろくにおかずもなかった我が家の食事を召し上がっていた、あの姿。私は一生忘れないことでしょう。

信じられないほど粗末な食事しか食べられなかった我が家で、心から感謝して、手を合わせてお食事なさってよろこんでお話しなさっていらした会長様。私はあの、昔の会長様たちの姿を思い出すだけで、涙が出てくるのです。
 

もうひとつ

 投稿者:kame  投稿日:2009年 4月27日(月)22時34分41秒
  元信者様

>しかし、信者さんのお供えの中で、圧倒的なウエイトを占めているのは、天理教教会本部の巨大な神殿をはじめ、真柱が住まわれている豪邸、母屋と称される各種建築物等の維持管理費に使われているのではないでしょうか?

真柱邸は比較的質素なものではないでしょうか。母屋の管理費は大きいですね。エレベーターや暖房などに相当の金額がかかると聞いています。それ以外はあまりかからないでしょうが。私の所属する教会の詰め所では26日前後は障害者の方がいらっしゃらない限りはエレベータを止めています。暖房は、これは、非効率的な形になっていますね。

天理教で大きなウェイトを占めるのは、人件費(本部勤めなど)ではないでしょうか。それと建物の増改築、土地代です。これは、教祖様が八町四方をごらんになられているので、それを実現すべく、行われるものでしょう。ちなみに、人件費といっても、本部の人たちの人件費はひっくり返るくらいに、安いですよ。8割がたひのきしんです。

>大和郡山市内にある某大教会や桜井市内にある某大教会は、あたかも「お城」であるかのような感すら受けます。人助けの為に、そのような巨大な建築物がはたして必要なのでしょうか?

場所は必要かもしれませんが、建物が豪華である必要はありません。それが神様の希望することであるかどうかは、私は否定的です。思い出すのは、いつまでも質素でいらした、東本の中川よし先生ですね。
 

有難うございます

 投稿者:kame  投稿日:2009年 4月27日(月)22時23分43秒
  脱会者様

>上記の行為は緊急避難行為であり違法性阻却要因がかみされ脱法行為とはなりません。
悪しからず。

ご教授ありがとうございます。勉強させていただきました。感謝申し上げます。しかし、基本的に考えは変わりません。律よりも心定めが大切と仰った教えに私は一点の疑いも持っておりません。

1987年の韓国の民主化宣言はどうやってなしとげられたのでしょうか。そのあとの天安門事件は「理」が大事か「律」が大事かを見せてくれるものでもあったかもしれません。いずれにしても、その時代時代に、「理」のとらえようはいろいろとあるものと思います。

>豪華な教祖の暮らしとはかけはなれた建物の普請の為に多額の金銭を「徳を積むチャンスだ。」とか「今しかない」とあおりたてお供えをさせるのはよろしくない。

あややさんが仰る通り、私も経験したことがありませんし、聞いたこともありません。会長さん、あるいは上級の会長さんからうかがったのは、「心」の話だけです。

そして、信仰をいつも教えてくれる母からいつも言われたのは、お供えは心に決めた金額そのまま。それを下回ると、必ず、それと同等の出費がどこかで出ていくから、同じこと。世の中、そう出来ている、ということです。いやな言葉を耳にしてしまったものです。この言葉、本当に当たるのです。耳にするも因縁、というものなのかもしれません。具体的には書きませんが。洗脳といわれるのでしょうが、私の経験では、お供えしよう、と心に思った金額は、間違いなくお供えしなくても別のところで思わぬ出費が発生します。月々のこともそうですが、それなりに大きな金額のことをおもに念頭において申しあげています。

>結論としてこの情報を頭に入れた上でやりたい人はやればいいし、危険だと思えば止めればいい。自由ですよ。

その通りです。自由です。しかし、神様は因縁寄せて守護する、と仰います。その因縁を切って幸福になるか、それを洗脳ととらえるか、それだけの話かと思います。

それにしても良くわからないのは「教会」とかかわったら貧乏になる、というものです。私の周りの信仰者たちは、貧乏の中を、1日10円とかをお供えして、よろこんでお道を通っていらっしゃる方が、何人もいらっしゃいます。すべては心次第。神様がお受取りになる心そのものが大事なのだろうと思います。逸話編を引用するまでもないでしょう。
 

あややさんへ

 投稿者:元信者  投稿日:2009年 4月27日(月)19時41分49秒
  「手っ取り早く警察へ行って話したら良いと思いますよ」と簡単におっしゃいますが、警察に行って話す為には、客観的、合理的な証拠が必要です。具体的に言えば「お供え」の使途が明記された決算書のような書類が必要です。もちろん、そうした書類の正当性を裏付ける領収書や正式な帳簿類も必要です。しかし、残念ながら、私の知る限り、そうした書類は教会本部から公開されていないようですし、見たことがありません。もし、一般に開示されているのであれば教えてください。私は天理教が宗教であるという観点から考えて、信者の「お供え」はあくまでも人助けの為に使われるべきだと信じています。決して、必要以上に巨大な宗教施設の建築費や維持管理費に使われるべきではないと思います。  

(無題)

 投稿者:あやや  投稿日:2009年 4月27日(月)16時00分15秒
  私は現在天理教信者です。皆様の投稿ざっとですが拝見させて頂きました。
皆様沢山被害に遭われているようですね。私は東京都内の某大教会に所属していますが、
皆様のおっしゃるような被害にあっているお話は聞いたことは殆どない状態です。
強いていえば、昔、噂ではありますが聞いたことがあるかな〜?と言った感じです。
今からもう15年以上前ですが、ある教会では多額の「お供え」を要求しているようだ・・・とか。幸い私が所属している教会では、「お供え」に関してだけでいうと
金額は個人の自由です。信者さんのなかには100万円以上の方もいらっしゃるようです。
多額の金額を「お供え」すれば徳を積むチャンス・・なんて、私は教えてもらっていません。天理教だけに限ってだけでなく、他の宗教もそうかもしれませんが、もっと沢山の被害にあっている方がいると思います。少なからず、私が所属している教会・信者様は皆様とっても良い方たちばかりです。一般常識のある方たちばかりなので、時々相談に乗ってもらっています。皆さんのおっしゃって居る事が本当なら何故ここに投稿するのでしょうか?
手っ取り早く警察へ行って話したら良いと思いますよ。
 

天理教の重要事項

 投稿者:脱会者  投稿日:2009年 4月26日(日)18時50分37秒
  >道の真ん中で子供が遊んでいる、そこに車が突進している、私は赤信号の法律を犯して道
>に飛び出し、子供を抱きかかえて子供を助けることもありえます。これも脱法行為です。
>振り込め詐欺であることを知っていて、その犠牲を阻止すべく、おばあちゃんの家の玄関
>先に仁王立ちになったり、振り込み行為を阻害するのも脱法行為です。
上記の行為は緊急避難行為であり違法性阻却要因がかみされ脱法行為とはなりません。
悪しからず。
>>「お供え」さえすれば全て神が受け取ることはありません。
>教祖伝逸話編を読めば、それは当然のことではないでしょうか。
儀礼的なお供え(3000円から5000円程度)であれば容認してもよいと思います。
しかしながら他の方々も書き込んでいますが、豪華な教祖の暮らしとはかけはなれた建物の
普請の為に多額の金銭を「徳を積むチャンスだ。」とか「今しかない」とあおりたてお供え
をさせるのはよろしくない。
巡教員が机の下で指を1本出したら100万だとかね。
100万円を1本っていいますしね。
金が足りなかったら役員で工面するとか。
教会とかかわっていたら「貧乏」になりますよ。
私は神が受け取るの云々は言い訳にすぎないと思います。
このような人達が実に多い。骨の髄までしゃぶられてそれでもキュウリ1本でもお供えする。
それがお道の信仰者なんです。
結論として
この情報を頭に入れた上でやりたい人はやればいいし、危険だと思えば止めればいい。
自由ですよ。
天理教についての重要事項を説明しているにすぎません。
いろいろな業種で特に多額の金銭がかかわる場合に重要事項の説明義務があります。
私はこの世の中の流れに合わしているにすぎません。
悩みがあって教会の門を叩くわけです。
そのような方から身ぐるみをはぐような事があってはなりません。
 

お供えの使途

 投稿者:元信者  投稿日:2009年 4月26日(日)12時08分54秒
  確かに、天理教は各種ボランティアに積極的に動いておられます。(天理教が宗教であるということを考えるとボランティアという表現が適切なのか疑問に思いますが)お助けに回る会長さんの交通費や家族の生活費にも使われていると思います。しかし、信者さんのお供えの中で、圧倒的なウエイトを占めているのは、天理教教会本部の巨大な神殿をはじめ、真柱が住まわれている豪邸、母屋と称される各種建築物等の維持管理費に使われているのではないでしょうか? 大和郡山市内にある某大教会や桜井市内にある某大教会は、あたかも「お城」であるかのような感すら受けます。人助けの為に、そのような巨大な建築物がはたして必要なのでしょうか?  

さて

 投稿者:kame  投稿日:2009年 4月26日(日)01時03分0秒
  元信者様

生活保護という制度は支給額に一定の規定があるのではないでしょうか。それを削減するか否かは行政のさじ加減だと思いますが。納税者として返還してほしい、という気持ちを置いておくとしても、気持ちとは別のところに行政はあることでしょう。そして、繰り返し申しますが、仮に返還ということになったとしても、生活をきりつめきって、きゅうり一本でも信者はお供えすることでしょう。私はそれを制度のもとにおいて可と考えますが、否とするあなたの気持も理解します。その正否はどうにも私のはかり知れぬところにあるように思えます。与えられた権利のもとで、与えられた権利を行使する、ということについて、どう考えるかでしょう。

私の今は亡き親戚(享年40歳程度でしょうか)は、身体に若干の障害と、知的障害がありました。生活保護を受けておりました。楽しみは、貸本で漫画を読むことと、年に数回行くというパチンコでした。パチンコといっても3000円も使うやら使わぬやらのもの。私はこの今は亡き人に、漫画は読むべきではなかったと、パチンコをすべきでなかったと、お供えをすべきでなかった(お供えの金額は微々たるものでしょう)と、たとえ納税者ではありますが責める気持ちはありません。人それぞれかと思っています。

>そもそも理とは一体何なのでしょう?

自然でいえば、月日であり、火水風ではないでしょうか。そして、心の働きとしては、神様の思い(それははかりうるものではありませんが)、道理に沿う各自の在り方ではないでしょうか。

>私は、信者のお供えが本当に困っている人達に対する「助け合い」に使われてこそ、真の理立てであると信じています。そして、信者のお供えがそういう目的で使われてこそ、「陽気暮らし世界」の実現に一歩でも近づけるものと確信しています。

その通りです。素晴らしい御考えだと思います。では、どうやって助け合いに使われるべきでしょうか。各種ボランティアに天理教は過去から積極的に動いてはいます。そういう人たちの費用にも使われるべきでしょうし、憩いの家病院には積極的に予算を入れるべきでしょう(診療費はおそらく法的に無償というのは無理ではないでしょうか)。御助けに回る会長さんのガソリン代や食費にも回ることがあるでしょうし、いろいろな使途があるものと思います。

ただ、たとえば、昨年、失業者村みたいなものが報道されたりしていましたが、そうしたものに、天理教がみなにお金を配るようなことをする必要はないと思います。軒先を貸し、教えを伝え、暖かな粥を与えることはあっても、おそらく現金を配るのはやめておくのがいいでしょう。こういう価値判断は、なかなか難しいもので、単純ではなさそうです。

現状として申し上げれば、私は一れつ会には批判的です。原則教会子弟のみ、それ以外では将来お道に奉公する極端に成績が優秀な信者だけが受けられる奨学金は、いささか現実的ではないと思っております。あしなが募金のように、母子家庭など、さまざまな人たちに門戸を開くべきでしょう。私は、貧しかったので、藁をもつかむ思いで一れつ会に申し込んだことがありますが、落ちたことがあります。一方で、教会子弟であれば、問題なくもらえるわけですので。今から考えれば、これをもらえなかったことで、大学卒業後のお礼奉公も必要なかったわけで、その分、社会での機会が与えられたわけですから、それでよかったとは思っていますが、奨学金の充実は、個人的には必要であると思っています。

脱会者様

神のためであるなら法令違反もしかるべし、という「場合もある」と思います。

道の真ん中で子供が遊んでいる、そこに車が突進している、私は赤信号の法律を犯して道に飛び出し、子供を抱きかかえて子供を助けることもありえます。これも脱法行為です。振り込め詐欺であることを知っていて、その犠牲を阻止すべく、おばあちゃんの家の玄関先に仁王立ちになったり、振り込み行為を阻害するのも脱法行為です。

原則、常識に則ればよいだけのことです。「神がめどか、人がめどか」の前提として、一定の常識が存在するのは、私から見れば当たり前のことです。住宅街でどんちゃんとお勤めをする。これは、神を前提にすれば是ですが、私は、反対です。「気を使って」お勤めをすべきです。そういう常識です。

仕事を休んで参拝する。これは権利が許された部分で行うのであればいいでしょうし、首になるような性質のものであれば、いけないでしょう。「働き」は、天理教の基本です。月例祭にできるだけ仕事を入れない、というのは、あるべき信者像なのでしょうが、現実問題として不可能であれば、「働き」が大事。仕事のあとに参拝すべきでしょう。私の場合、いい加減な信者ですから、年に10回ほどしか教会には足を運ばないと、すでに申し上げました。

扉開いて、の部分は、現在とはあまりに時代背景が違いすぎます。これとオウムを結びつけるのもどうかと思いますが。世間に合わせる、ということがどういうことか、規定が難しそうですが、あたりまえの常識をわきまえる、ということでいえば、私は同感ですよ。

>「お供え」さえすれば全て神が受け取ることはありません。

教祖伝逸話編を読めば、それは当然のことではないでしょうか。
 

教理の危険な部分

 投稿者:脱会者  投稿日:2009年 4月25日(土)18時57分17秒
  「神がめどか。人がめどか。」ですか。
神のためであるなら法令違反もしかるべし。という解釈にもなります。
天理教教理には解釈を誤り盲信すると危険な部分がありますが、そのひとつですね。
オウムの犯罪も法律よりも教団教理を優先させた結果です。
そのようなことに信者を導きかねないですね。
たとえば、仕事をおっぽりだしてひのきしんに行くとかね。
仕事を優先させるのが「人間思案」であるという論法ですね。
その結果クビになっても神が受け取るということにしてしまう。
このことについて何人かと論争しました。
教祖伝九章「御苦労」十章「扉開いて」も官憲(法)との対立を美化しています。
天理教を信仰する以前に法令遵守が必要ではないでしょうか?
私は教理は世の中で行かしてこそ意味があると思います。
世間と「会わせる」ということも必要です。
「お供え」さえすれば全て神が受け取ることはありません。
 

Kame殿へ

 投稿者:元信者  投稿日:2009年 4月25日(土)18時48分7秒
  生活保護の原資はあくまでも、国民の血税が原資である以上、剰余がでた場合は、国なり、市町村に返還するのが当然であると思います。神の存在を信じるか信じないかは、あなたのご自由ですが、信者の「お供え」を消費しているのは人間です。神様は経済活動はできません。あなたは、神様にお供えをし、そこに理があるとおっしゃいますが、そもそも理とは一体何なのでしょう?天理教の教会の前を通りかかると、陽気暮らしのキーワードとして「感謝、慎み、助け合い」という横断幕や看板を見かけますが、私は、信者のお供えが本当に困っている人達に対する「助け合い」に使われてこそ、真の理立てであると信じています。そして、信者のお供えがそういう目的で使われてこそ、「陽気暮らし世界」の実現に一歩でも近づけるものと確信しています。  

いろいろ

 投稿者:kame  投稿日:2009年 4月25日(土)00時48分33秒
  刺激しましょう  投稿者:被害者A 様

別に重箱の隅はつついていませんが…。教会でお育ちになったのですね。私はそれだけでそれなりの理があると思います。いざというとき、教祖様がおそばにいらっしゃいます。お心を強くお持ちください。裁判が正当かどうかは私には分かりませんが、なってくるのが天の理でしょう。

脱会者様

生活保護という限られた金額の中でやりくりして、剰余の部分が出た時にお供えをする。別にいいのではないですか。極端な話パチンコでもどうこういうつもりはありません。法があるがゆえ、それに則ればいいだけ、と書いたわけです。削られるべきときが来れば、削られるでしょう。それでも、お道の信仰者は、きゅうり一本でもお供えすることでしょう。

飲酒運転をする人のお話は問題外です。神様が見えていないのでしょう。それを天理教では人間思案というのではないでしょうか。

それから、私は私の信仰スタイルを押し付けたつもりはありません。申し上げていることは要するにただひとつです。神がめどか。人がめどか。それだけです。あとはおまけです。

小豆さん

おっしゃる通りだと思います。野菜でも何でもいいのです。心の問題だと思います。ただ使途にこだわる必要はなにもありません。教会の瓦一枚になるかもしれない。会長さんのガソリン代になるかもしれない。それはどうこういうほどのこともありません。どこかで道につながっていることでしょう。

しかし、中には贅沢三昧で、道をはずれた教会長さんもいらっしゃることでしょう。私もそうとしか思えない方を目にしています。しかし、腹は立ちません。私は神様にお供えをしたのであり、そこに理があるのであって、あとは神様が決めることだからです。

100万円のたとえ話をしました。困った人、ではたしかに弱いかもしれませんね。ただ、私ならどうするか。相変わらずお供えをすることでしょう。神様にです。

サルトルは「存在と無」で、人々は神にではなく「教会」の言うことを信じるのだということを書いてあったような記憶があります。多くの人が、教会に惑わされるのが現実です。紙の前に、ひとりの人間としていかに立つか。それが信仰というものだと思います。

ついでに申し上げておきますが、私は純真な信者でもなければ、熱血漢のような信者でもありません。そこらにいる、普通のきわめて不真面目な信者ですよ。年に10回程度しか教会に行かないのですから。お供えは、母への仕送りを通じてしていますが。

提案様

ご提案をありがとうございます。場合によっては移動も考えます。それからPCが故障しました。修理中です。あまり書き込めないかもしれません。1台、予備のPCがおいてあって、それを使っていますが、家族で1台というのはなかなか不便です。

芹沢光次郎さんの「神の〜」シリーズは4冊手元にあります。すこしばかり読みかけて、ちょっとついていけないと思って読むのをやめました。私が評価するのは、「教祖様」までです。ちゃんと読んでいない、先入観がある(例の男性に)、というのがあるのかもしれませんが。
 

kame様

 投稿者:小豆  投稿日:2009年 4月24日(金)15時46分3秒
  kameさんはとても純粋で脱会者さんの言われるようにどのような事でも喜べるすばらしい成人の方だと思います。しかしお供えの事についてはどうでしょうか?神はお供え(お金)を戴いて喜ぶのでしょうか?お金を喜ぶのは人間だけです。

例えばその土地で取れた野菜や果物を供え喜び感謝をするだけで十分神には通じる事と私は思います。お供えがどのように使われるか知った事ではないというのはどうでしょう?

お金が楽に入ってくると価値観も変わってきたり 悪い心が出てくる人もいるでしょう。上手な言葉で引き出す人もいるでしょう。何の疑いも持たず気持ちよく神への感謝と言いながら出す事が欲におぼれた人々を増やす事にもなりかねない

彼らがほこりを積む人達や業を背負う人になったとしても その人達の心一つだからそれでいいのでしょうか?そのような人達が増える事を神が喜ぶのでしょうか?

お金を神に供えるというならやはり使途不明であるべきではありません。100万円の例え話がありましたが、こういう教会長を困った人で済むのでしょうか?誰もがあなたと同じ考えではありません。

私は天理教会から離れてからある団体にたまにですが、寄付が出来るようになりました。友人がボランティアで働いています。使途不明なものなどありません。

長々と失礼な事を書いてしまったかと思いますが、被害者の人の気持ちももう少し考えていただき 違う側面からの考えを持つ事も必要かと思います。天理教の人が皆悪いとは思いませんが、不条理が多すぎると感じます
 

kame殿

 投稿者:脱会者  投稿日:2009年 4月24日(金)08時51分14秒
  >市営住宅に住むのも市民の権利であり、生活保護を受けるのも市民の権利でしょう。
>その与えられた権利の中で、お供えをするというのも別にあってもいいと思いますが、
>変でしょうか。
大いに変です。
考えの根底から違うと感じました。
一般常識は逸脱していますし、自己中心的というか・・・・・
市営住宅、生活保護というものは、市民の血税から賄われているものです。
ましてや生活保護というのは憲法で保証された「最低限度の生活の保証」なんです。
そういう趣旨のお金の中からお供えをしたとなると、お供えの分は削られてしかるべしなんです。
法律で決められた使徒以外に余剰金が出た場合は削られるものなのです。
市営住宅にしても民間の賃貸住宅と比較し、賃料が安くなっています。
そのような状況で浮かしたお金で「お供え」をするということは許されません。
「お供え」がしたければ民間の住宅を借り、自活し、他の国民のやっかいになってない方がすべきでしょう。
このことは市民の常識です。
例えば多額の「お供え」をさせられて財産を失い生活保護のお世話にならなければならな
かたがいたとします。
その方は少なくとも天理教と出逢い「お供え」をさせられなければ「税金」のお世話にならなかったのです。
>極端にいうとそれでパチンコするのも自由です。
所詮、この程度の考えですか。
天理教は「税金ドロボウ」みたいなことは止めていただきたい。
少なくとも生活保護受給者からの「お供え」は止めるべきでしょう。
本人が喜んでしていることのレベルでは無いということです。
公金の不正受給という詐欺行為すれすれのことをしていることに気づくべきです。
このこと以外にも借金させてお供えさせたとか、犯罪がらみのお金とわかってお供えさせたとか知っていますが、このようなお供えでも本人が喜んでやっていれば問題が無いということでしょうか?
>自ら、神さまに感謝の心の現われとして供えるものです。
とあなたはおっしゃっていますが、いかがなものかと思います。
教会の直来の後、毎度飲酒運転している人をしっていますが、そのかたは
「神さんの御用中だから、捕まるはずもない」と言っています。
あなたのおいたちうんぬんが書かれており、教会からお世話になったことが書かれてい
ますが事実関係がたしかめようもありません。
事実として言えることはあなたの苦しい生活の上でも、家一軒分に相当する「お供え」を
教会は集金しつづけたということです。
どのようなことでも喜べるあなたはすばらしい成人のレベルだと思いますが、このことは
両刃の剣で「お供え」を搾取するために使われているということを自覚ください。
私が書き込む内容はあなたにとってマイナス情報です。
しかしながら天理教に疑念を持たれてる方には情報を開示すべきです。
その情報にもとづいて今後どのように天理教と関わるかを考えればいいことです。
信仰はひとそれぞれとあなたも言われるじゃないですか。
ひとそれぞれに判断をゆだねてみればいいことじゃないでしょうか。
あなたの信仰スタイルを押しつけられるすじあいはありません。
 

刺激しましょう

 投稿者:被害者A  投稿日:2009年 4月24日(金)07時31分36秒
編集済
  私は小学校時代から国語が一番苦手で特に文章を書くのは苦手なんです。よく解らない文章ですみませんでした。しかし,それを重箱の隅をつつくごとく言う君も天理教信者としての修行が足らないのでは。

皆さんkame君をもっと刺激してどんどん発言させましょう。天理教洗脳者のものの考えかたがよくわかるでしょう。私も教会で育ったので信徒さんが皆同じことを言っていたのをよく覚えています。洗脳者は自分の考えが全て正しいと思っているので一般人と話がかみ合う訳はないのです。同じような考えを持っているカルト宗教集団、「統一教会」の青春を返せ裁判は原告が勝利しました。詳しくはネットで検索してね。
 

また

 投稿者:kame  投稿日:2009年 4月23日(木)22時14分36秒
  被害者A様

私が不条理だとか決め付ける前にご自身の書き込みが、果たしてちゃんと意味をとりうる文章であるものかどうかをご確認なさるのがよろしいかと存じます。

脱会者様

私は幼少時に父を亡くしており、貧しさの中、数多くの兄弟のうち、私と妹の二人はもらい子に出されました。やはり家族は一つで、ということですぐに戻してもらえましたが。母は女手一つで数多くの兄弟と祖母を背負ってきたわけです。

天理教ではなかったら、その分、裕福になっていた?私はかけらほどもそうは思ったことがありません。商売上、上級の会長さんや、自分とこの会長さん、信者さん、みなの手助けがあってはじめて私の家族は一つであることができましたし、母は貯金がないことより、兄弟みなが元気で成人して、子育てするような年になったことを、心から感謝して、神様にもお礼申し上げています。

日々を喜ぶこと。これは大切なことだと思います。そして、私たちがお金に変えられぬ守護を世界から受けていることを感謝を持って受け入れることだと思います。月日、そして火水風、どれほどに大切で有難いものでしょうか。そうした中で家族で生きてこられたことがどれほど感謝に値するものであるか。

私の家で総額どれほどの金額を教会にお供えしたかは分かりません。祖母の代からですから家一軒分くらいはもしかしたらあるのかもしれません。計算など考えたこともないので分からないですが。しかし、私はそれ以上に、天理教によって守られ、健康で、家族離散することもなく生きてこられたことのほうが重いように思っています。

お供えは詐欺ではありません。自ら、神さまに感謝の心の現われとして供えるものです。もちろん、野菜や果物でもいいわけです。大事なのは感謝の心だと思います。

元信者様

私の家族は生活保護を「そんなものを受けるようになっては終わり」とばかりに、決して受けることはありませんでした。母の時代はそういうものだったのかもしれません。子どもを貰い子に出してまでです。今の世の中は、普通に貰うようになったのでしょうが。

市営住宅に住むのも市民の権利であり、生活保護を受けるのも市民の権利でしょう。その与えられた権利の中で、お供えをするというのも別にあってもいいと思いますが、変でしょうか。極端にいうとそれでパチンコするのも自由です。それで余裕がありすぎると判断されて保護が削られるようなことがあるのであれば、それはそれで、受け入れればよろしいことではないでしょうか。世の中には法律なるものがあります。それに準じればよろしいこと。そして、それよりも大事なものが、日々、喜んで通る心だと申し上げているに過ぎません。
 

生活保護

 投稿者:元信者  投稿日:2009年 4月23日(木)20時24分5秒
  生活保護の原資は、国民の血税です。市営住宅の維持管理費の原資も国民の血税です。Kame
さんはその事をご存じですか?
 

天理教団公認ようぼく

 投稿者:脱会者  投稿日:2009年 4月23日(木)12時27分10秒
  私も被害者Aさんと同感です。
kameさんなんですが、 「天理教団公認ようぼく」といったところでしょうか
教団の3代にわたり、洗脳プログラムを何の疑いもなくめでたく修了した結果なんでし
ょうねえ。
これだけきれいに洗脳されているとは・・・・おそれいります。
でも天理教被害(本人は被害と思っていない)のモデルケースとしてわかりやすいですね。
私は天理教を熱心にすると結果として貧乏になることを何度も投稿しています。
kameさんのお母さんのようになるということです。
市営住宅住まいで生活保護を受けてもおかしくない、貯金ゼロ、収入は国民年金の基礎
の部分だけにもかかわらず何の疑問ももたず「喜んで」お供えを続ける。
こうなってしまうんです。
長年教会にいりびたった結果こういうことになった人を複数知っています。
生活保護からお供えをしている人もいます。
長年お供えを続けているしやめてしまったら自分の人生を否定したことになります。
詐欺にあったひとは自分の被害を認めたがらないそうです。
ですから詐欺師につけこまれることになるのですが・・・・
本人が喜んでやっているからいいじゃないかとのことです。
このような事実をふまえた上で天理教に疑念をもった方々が天理教とかかわるか否か判断
すればよろしい訳です。
 

天理教に洗脳された人間をここに見る

 投稿者:被害者A  投稿日:2009年 4月23日(木)06時54分21秒
  kameくんの投稿を見れば天理教に洗脳された人間がどんな意味不明、不条理な発言するかこれでわかるでしょう。
こんな発言は一般世間には通用しない事すらわかっていない。
kame君をわざと刺激して洗脳人間がどんな事を言うか試しただけ。天理教信者はこの程度の人間たちが多いと言う事の証明です。こんな人たちの集まりで天理教が良くなる事はないでしょう。益々邪宗天理教になってしまうだろう。
kame君,天理教へどんどんお供えしなさいキットお陰があるよ。
 

あれ

 投稿者:kame  投稿日:2009年 4月23日(木)00時05分20秒
  小学校生でも知っている  投稿者:被害者A様

ご自身の書き込みをよくご覧下さい。4月21日分です。

>昔は地球が太陽の周りを回っていると思っていた人はほとんどいなかった。少数派が正しいとは言えないでしょう。

これを、どう理解しろと仰るのでしょう。で、次の日になって、急に「少数派が正しくないとは言えないないと言う解説」(これも日本語が分かりません)に変わったりするのでしょうか。要するに、あなたが書き間違えただけではないですか。

脱会者様

>すなわちあなたは「神」の存在を否定しています。

すみませんが、意味が分かりません。神の存在証明から、キリスト教的実存主義、無神論的実存主義あたりのことをおさらいされることをおすすめいたします。

>ではあなたとかあなたのお母さんはは誰に対して「喜んで」お供えをしているのでしょうか?(笑)

天理王命様です。そして、教祖様、ご先祖様、お道を伝えてくださった方々です。

>それを教団の集金に都合がいいようにアレンジしているのが天理教なんです。

ですから何度も申し上げています。ろくでもない教会長もいるだろうし、教会制度の改革も必要であろうと。ただ、それは私に言わせれば信仰の枝葉に過ぎないことです。枝葉を見てその幹の太さ、固さ、強さを見ようとしないことは、あまり正しいこととは思えません。

>天理教から離れたら事情から解放されますよ。

天理教との付き合い方は人それぞれでしょう。ただ、天理教から離れたら事情から解放されるのかどうかは知りません。そういう方をあまり見たことがないので。むしろ、人間的な懐が狭くなり、つまらない人になった、あるいは事情がさらに悪くなったという印象を受けたことが複数回ありました。まぁどうでもいい話ですが。人それぞれなのでしょう。そしてその結果が分かるのは、命尽きるそのときであることでしょう。

元信者様

>「人助けの為に使って欲しい」という一心で、苦しい家計の中からでも「お供え」をされている方がおられます。

それも結構なことです。しかし、お供えにその使途を期待するのはどうでしょう。お供えは教会にするのではありません。「神さま」にするものです。あとは、神さまがお使いになるだけのことです。もちろん教会長が贅沢三昧に使うこともあるでしょう。それが道にかなわなければ、当然に、その教会長は、仏教で言う業を背負うことになることでしょう。かといって、○○に使われるべき、というほどのこともないと思います。神さまだけを見ていればいいのだと思います。受け取られるのは、教会長ではなく、神さまです。それを勘違いすべきではないと思います。

私の場合、区別しています。お供えは神さまにするもの。寄付は人のためにするもの。足なが募金など、通りかかりで募金箱があれば、入れるようにしています。あるいは、病気の子どもの募金などがあれば、それも目にするのも因縁と思ったときは、募金することもあります。

例えば、私が、100万円、お供えしたとします。教会長が、それをパチンコですってしまったとします。腹が少しは立つような気はしますが、あまりどうこうは思いません。馬鹿だなぁ、と思う程度です。私が神さまにお供えした100万円、それを稼ぐための苦労は「理」として神さまに受け取られていると考えますので、基本的には、ああそうですか、困った教会長だなぁ、こういう教会長のもとで信仰する自分にも何かの因縁があるのだろうなぁ、と自分自身も振り返ってみる契機とすることでしょう。
 

Kame殿へ

 投稿者:元信者  投稿日:2009年 4月22日(水)20時54分18秒
  >どのようにお供えが使われようと私の知ったことではありません。お供えをして、日々の感謝をする心そのものが大事なのではないでしょうか。あとのことを心配しているのは、片思いをしている恋人にプレゼントを贈り、それがどのように扱われるか、自分ひとりで勝手にはらはらしながら監視しているようなものです。心配する必要はありません。誠一つが天の理と申します。<
天理教の信者の中にはは、「人助けの為に使って欲しい」という一心で、苦しい家計の中からでも「お供え」をされている方がおられます。あなたの言い分は、そうした人達を冒涜し、馬鹿にしているようにさえ思われます。
 

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