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主観と客観の違い

 投稿者:morino  投稿日:2018年 1月16日(火)23時49分6秒
返信・引用 編集済
  自分を中心にして、見たり聞いたり、感じたりしたことを意識することは、主観的ですが、他者から、自分を見れば、客観的になります。

天動説は、主観的だし、地動説は、客観的です。15世紀以降、天動説の間違いが、訂正されて、地動説の世の中になりましたが、今でも、日常の生活では、太陽は、東から昇るし、西に沈みます。

自分がどこにいて、宇宙を見ているかによって、どちらも正しいのです。日常生活の中にどんどん、天動説を取り込みましょう。
これによって、二元論が、一元論に集約される時代になります。








 
 

一期一会について

 投稿者:morino  投稿日:2018年 1月14日(日)00時21分33秒
返信・引用
  美味しい苺の食べ方。
路地で育てた苺を一粒だけ、収穫します。三角の先の方が、一番甘いので、そこを一口食べます。
美味しいからと云って、バクバク食べては、甘みが夢のように消えてしまいます。
ああ、美味しかった。という思いを大切に記憶しましょう。

食べ物との出合いは、いつも1回限りで、2度と戻ってきません。味も一度限りで、食道や胃袋で味わうこともできません。毎日、食べているご飯もパンも味噌汁も、一度限りのものです。そんな食事を毎日繰り返しながら、何十年になりますか。
「御馳走さま」、「いただきます」が、空念仏になっていませんか。

毎日が同じように繰り返されるのが、日常ですが、ひと月に一回やってくる「はないかだ」の定例会は、いつも新鮮で、同じ体験が、二度とありません。毎回、新しい出会いが、やってきます。新しい意識が、重ねられて、以前とは、全く違う世界観に進化します。すると、毎日が、非日常に変容します。







 

一日一生

 投稿者:morino  投稿日:2017年12月17日(日)10時30分20秒
返信・引用 編集済
   朝、ふっと目が覚めて自分に気づくとき、窓の障子が明るいと嬉しくなります。

小鳥たちが盛んに朝の歌を歌い始めます。
八ヶ岳の嶺が、シルエットとなって、オレンジ色のグラデーションにかわってくると、ご来光だ。
今日、生まれたばかりの朝が、静かに流れていきます。

庭に降りて泉の冷たい水で顔を洗いながら、三つのマントラを唱えます。
これは、恩師、小坂八郎先生から伝授されたもの、

『今日一日が、真なる日でありますように。
 善なる日でありますように。
 美なる日でありますように。』
今日の日を生きていく、イメージトレーニングのようなものです。

裏の畑に出ると、昇ってきた陽光が、スギナの葉の朝露に反射して、虹色に輝いています。
どんな宝石にも勝って美しい水玉に自ずと手を合わせてしまいます。
かみさまは、こんなに美しい自然を私たちに与えてくれていたのです。
朝の空気を体いっぱいに吸い込みます。それは、宮田先生がよく語ってくれるプネウマ(聖霊)なのです。

朝食のサラダにレタスを摘み、アップルミントをいただいて、ハーブティをいれる。
飯盒で炊いた玄米1合と近所のおばちゃんから、もらった手造りの味噌と新鮮な野菜で、ささやかな食卓に朝の祈りを添えて、今日の元気をいただきます。

余禄の人生には、何事も、歓びが伴います。草花の美しさに見入りながら、森の中の道を歩いていると、森のあらゆる命が、押し合いながら、住み分けていて、見事な調和の世界を造っています。
おおいぬのふぐりやはこべら、ままこのしりぬぐいやへくそかずら、じゅうにひとえやむらさきしきぶ、どれも立派な名前をもらっています。

秋空が高い。雲見の丘に腰を下ろして、賢治の蛙の会話に耳を傾けてみると、「あのネペタの雲は、永遠を想わせるね。」実に高尚な会話なのです。蛙たちは、田に水が引かれると一斉に合唱を始めるけれど、秋の終わりには、何処に消えてしまうのだろうか。この蛙の祖先たちは、縄文時代の土器に描かれていて、月の満ち欠けに融合しています。永遠に輪廻を繰り返している生命なのだろうか。
日本人のDNAは、縄文に祖先を持ち、穏やかな気質だという。

西洋文明に侵された現代の日本は、物質至上主義に幸せを求めて、経済活動を最優先にしていますが、この道がサタンの思う壺だということに気づいていません。
滅びゆく日本経済の末路をヨハネ黙示録は、語っているのです。

日本の霊性を天照の神々に委ねたとしても、ユダヤの霊性とは、どこか共通しています。宇宙進化の法則には、何の変化もなく、生命の根源は、トキの原理が、明らかになる時に栄光を放ち始めるのです。
唯一、生命の実在のみが、宇宙に放射されるヒカリなのです。

日没は、太陽の死を意味していると縄文人たちは、思考していました。
西の山々に陽が沈むとき、諏訪大社から、御柱の鈴の音が、転げ落ちて、無音の響きの中で、生命が生まれ変わります。

復活は、神が人類に与えられた最大の愛なのかもしれません。言い換えると、人間に死という最大の恵みを刷り込んでいたのだろう。
今や死者たちは、時間と空間と重力の縛りから、解放されて、大空を自由に輪舞しているのだから。

内村鑑三は、「死は最大の事業なり」と言葉を残して逝ったのです。
人生の最後の仕事は、死をそのまま受け入れること、死を超えること、死を賛美することに他ならないのです。

キリストは、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」この苦痛を超えて、昇天しました。
パウロは、「キリストの父の栄光によって、死者の中から復活されたように私たちも新しい命に生きるためなのです。」と語っています。

ホスピスに入っていた教え子のお見舞いにいったときに、慰める言葉が見つかりませんでした。
10年ほど前にガンになって、胃の半分を切除された宮田先生。この死に至る病が、告知され、手術室に運ばれたとき、頭脳が真っ白になり、思考が停止したと伺いました。
この時、何を考え、無の境地を体験したのだろうか。
死線を超えた人生は、歓びと恵みの日々に変わります。ガンは、かみさまから与えられた恩恵となるでしょう。
死を深く意識すればするほど、生きていることの有難さ、不思議さをしみじみと感じるのです。

星々の瞬きが全天に広がる頃に、鹿さんの群れが、草を食べにきます。蛍さんもやってきます。街灯もない草原に、星明りを見にモグラさんたちが、穴から出てきます。
生きているものは、みんな一緒にかみさまを賛美しています。

苦難の時によく口ずさむ歌があります。
♪安かれ、わが心よ、主イエスは、ともにいます。痛みも苦しみをも、おおしく忍び絶えよ。主イエスの共にませば、絶ええぬ、悩みはなし。(298)
この歌によってどれほどの方が、安らぎを覚えたことでしょう。
魂の救済は、この安らぎの中に包まれて成就するでしょう。

最後に、この拙い文を読んでくださった方々に感謝します。有難うございました。

<義と愛600号記念/宮田先生主筆/投稿の原稿>


 

見えない世界

 投稿者:morino  投稿日:2017年 9月13日(水)22時24分15秒
返信・引用 編集済
  この地球に見えるものと見えないものと、どちらが多く存在していますか。

○○対××  どのぐらいの比率か、考えたことが、ありますか。

重力、時間、速度、湿度、意志、感情、思考、感覚、意識、祈り、

人は、ほとんどが 空きめくらで、見えるものしか、見ていません。

自分はいつも、守護霊に包まれているのに。

本当のものは、常に見えない存在ですから。







 

自由に生きる。

 投稿者:morino  投稿日:2017年 7月23日(日)21時39分14秒
返信・引用 編集済
   地上で生活していると、誰でも、時間と空間と重力に拘束されてしまいます。

それは、肉体という物質素材の要素なので、拘束から、自由になることができません。

しかも、利己的な所有欲のため、不自由な生活を余儀なくされてしまいます。

しかし、人間は、魂の存在であり、霊的な存在なのです。

これから、重力や時空の影響を受けない非物質の素材に意識を変えてみると、束縛から解放されて、

自由な気分で生きていくことができるでしょう。



 

地上を俯瞰する

 投稿者:morino  投稿日:2017年 7月18日(火)20時06分20秒
返信・引用 編集済
    宇宙から、地球を見る。

 グーグルマップで、世界地図を広げてみよう。ズームインして、日本の地図に、その次に長野県を拡大して、

「富士見町セミナーハウス小野」を検索する。広い森の中の一軒家。ハンモックに揺れている自分の姿を想像して、小さな小さな存在に、意識を集中すると、地球上に生きている生命の不思議さに気づき、宇宙自我が芽生えてきます。

以上のような瞑想を繰り返していくと、何時でもどこにいても、自分を俯瞰している高次の存在に、幽体離脱ができるようになります。


 

人と出会うから

 投稿者:morino  投稿日:2017年 3月23日(木)10時31分2秒
返信・引用
  さて、「人と出会うから、」の人とは、

街に出れば、大勢の人がいますが、それは、風景にすぎません。
人と人が出会うのは、友人であり、心が繋がっていなければなりません。

ヒトと出会うために、サークルに入っていますが、なかなか本性の人(霊人)と出会うことは、難しいものです。

地上における人々のヒエラルキアと天上界のヒエラルキアでは、違いがあります。
天上の天使達が、地上に降りてくる日は、木星紀になるでしょう。
それには、私たちの創造意識が、今の地球紀を木星紀に進化させねばなりません。

地上から、人々が昇天するという、大勢の死が、必要になります。
輪廻を繰り返して、ひとり一人の魂が浄化されていくのでしょう。

結論として、宇宙創造行為のために、人は死んでいくのです。

森の中の大木が、枯れて、倒れると、周囲の若木が、日向の空間に枝を張ります。
枯死した生命は、大地に還って、実生の肥料になります。

森の生命は、輪廻しながら、何千年と生き続けます。森林全体が一つの生命体です。




 

こちらから、あちらの世界へ

 投稿者:morino  投稿日:2017年 3月21日(火)11時44分40秒
返信・引用 編集済
  21世紀の現代の課題は、物質至上主義が基本なので、世界中の国も国民も経済活動に幸福を求めています。
その結果、地球上の資源の分配で、争いが絶えません。

あちらの世界には、上記の悩みは、何もありません。
生きていくために、人生の大切な時間を国家や企業に提供する必要は何もありません。
個人の自由と創造行為によって、芸術と宗教に生き甲斐を感じられます。
音楽や信仰によって、あちらの世界と共通する精神世界に参入することが出来るでしょう。

「あなたの物質の闇を吹きとばしなさい。そうすれば人に出会うから。」
サン・マルタンの言葉です。

精神世界をイメージして、過ごすことができれば、こちらの世界でも本来の人との出会いが、可能になるでしょう。





 

はないかだ(3)

 投稿者:morino  投稿日:2017年 3月 6日(月)10時41分37秒
返信・引用
   残された時間を大切にしよう。
それは無理なことで、納得できない話です。

では、どうすれば、救済できるのでしょうか。
これが、「はないかだ」論法です。

花筏の舟に乗って、大空の旅に出ましょう。
雲のように風になって、ふわふわ浮いていると 暖かい日差しの心地よさが、身も心も魂までも
包み込んでくれます。
ありがとう。ここまで準備してくれていた、守護霊さまに感謝です。

イメージを創りあげていれば、やがてそのようになっていくのが、霊的世界の法則です。
夢をみましょう。
創造力で霊界参入も天国も「光のくに」も実現可能です。
納得できなければ、信じてください。それで、救われます。


 

はないかだ(2)

 投稿者:morino  投稿日:2017年 3月 6日(月)10時29分8秒
返信・引用
  魂の救済をもっと分かりやすく、実践できる方法がないかと思索を重ねてきた結果。
その可能性が見えてきました。
物質的な現実ではなく、未来の精神世界では、イメージすることが、現実に現れてくるので、
如何にイメージするかの練習をしていきます。
まず、「はないかだ」の舟を造るイメージをしてみましょう。できたら、その舟に乗ってみましょう。
自分の体の感覚を観察していきましょう。
体が軽くなって、空に上がっていくような感覚になったら、雲のように自由に空に浮かんでみましょう。
 第一教程は、ここまでです。



 

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