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学会員でないので大学図書館で眺めていた「昭和文学研究」第61集(2010.9)に、「叙説」や「原爆文学研究」に触れた文章を見つけましたので紹介しておきます。
「旧来型の学閥コミュニティや多くの学会コミュニティはその〈励まし〉という役割を果たすという意味合いにおいても機能不全に陥ってきた。大きな組織の媒体では書けないことを書きたいがために研究同人誌が幾つか作られて、若手研究者の横のネットワークが以前にはない形で作られてきた。研究同人誌はもちろん私の先輩世代の時代から出されてきたが、一九八〇年代にちょっとした創刊の賑わいを示したことがあり、私なども大学院生時代に『名古屋近代文学研究』の創刊に関わった。一九九〇年代以降も九州の『叙説』のように編集も内容も装丁も素晴らしい雑誌が刊行されて、羨望の念を禁じ得なかったことを、今もよく覚えている。二〇〇〇年代になってからも『叙説』を引き継ぐように福岡の同じ花書院から『原爆文学研究』が創刊されるなど、特に地方における腰の据わった研究活動と雑誌の刊行には瞠目すべきものがあった。手弁当で行われたこれらの活動は新しい問題意識を提起し若手研究者に〈励まし〉を与えた点で、十分にこの時代の空白感を埋め合わせる力を持っていたと言ってよい。〉
※坪井秀人「空白の二十年はこえられるか―雑誌『JunCture』を編集して考えたこと―」
坪井さんはこの後「同好の士が集って作られた」「研究同人的な活動」の問題点にも触れてますが、機会が有れば雑誌をご覧ください。
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